アトリエ随窓-21 『災害の世紀(2)』

 コロナ自粛ばかりか、豪雨でも日常生活に影響を受けている。
 いくら梅雨時とは言え、3~4日に一度は晴れ間が出て一息つけるのが普通なのだが、今季は1~2週間ほども雨天が続く異常な状態。しかも、災害レベル級の強雨も...となると相当にストレスが溜まる。B DSC02466.JPG
(※唯一良いのは、暑くないのでエアコン・扇風機など冷房機器を全く使わなくてよいことくらい)

 九州から始まった今回の集中豪雨災害が東日本にも広がり、もはや日本全国どこで起きてもおかしくない。まさに “他人事ではない” という状況になってしまっている。

 6年前、このブログに私が投稿した記事で 「21世紀は 『災害の世紀』 になる可能性が大きい」 と書いた記憶がある。
当該記事 参考URL ⇒ https://hiromochan.at.webry.info/201408/article_5.html

 近年、毎年のように繰り返される 「集中豪雨」 をはじめ 「大型台風」「大地震」なども増加傾向、その地に長年住んでいる人達でさえ “過去に経験したことのない” という大規模災害が頻発している。今年最大の災事となっている 「新型コロナウィルス感染」 も広い意味で、大きな “災害” だと思う。
 正に 『災害の世紀』 そのものと言って良いではなかろうか。
 
 この状況では、政府や自治体の緊急対策予算はいくらあっても足りなくなってしまう。巡り巡って結局は、国民への税金徴収という形で財政の帳尻を合わせるしかなく、経済へのダメージは増すばかりだ。
 
 今の地球規模の異常事態を指す表現としては、一時的現象をイメージさせる 『地球温暖化』 ではなく、 『気候変動』 という定常的なシフトを意味する呼び方がふさわしいと言われている。つまり、もうかつてのような “想定範囲内のリスクの下での日常生活” に戻ることは出来ないということだ。  
 となると “毎年繰り返される” あるいは “年々ひどくなる” であろう災害に対して、人間社会としては一体この先どのように対処していくべきなのだろう。

 温暖化カーブを若干遅らせる/緩やかにする施策、あるいは想定を一段階上げた治水工事程度の努力は出来るのだろうが、自然現象を抜本的に変えるようなことは、人間には到底難しい。
 となれば現実的には 「with Corona・新しい生活様式」 と同様に 「with Disaster」 という発想が必要ではないだろうか。その場合、選択肢は一つ二つではなく 多様性/diversity が求められるはずだ。
 行政サービスの限界もある中で、例えば “どこに住むのか?” “万一の時にどう対処するのか?” “仕事はどうなるのか?” “他人様に迷惑をかけないか?” といった一人一人のリスク管理の問題になる。

 最近の超人気TV番組 「ポツンと一軒家」 で良くある事例は、 “高齢のご夫婦や独り住まいの山深い家”。共通するのは、その土地・家への深い愛着だ。先祖代々受け継がれてきた家と田畑・山、自然。町に住む人間から見れば信じられない程の不便な環境にあっても、ご本人たちは不便さを感じておらず、むしろ “至高の幸福感” を抱いて生活している。
 こうした環境で暮らしている方々が大災害にあったらどうなるのか? 元より 『ポツン...家』 に住むことは、危険な山道を行き来する、獣に襲われる、土砂崩れが多い など平時でもリスクだらけである。それでも、ご本人が選んだ “幸福な暮らし“ なので、何かあったら 「その運命を受け入れる」 「その覚悟はある」 ということだと私は思う。
 これとは対極の大都会で暮らすということは、 “至高の利便性” の日常を享受する一方で、人が多すぎる “超過密環境” 故の様々なリスクに晒されているという懸念がある。高度に発展した社会インフラは、一旦マヒしたら不便極まりないという 「諸刃の剣」 でもある。

 このように考えてくると 「with Disaster/災害リスクとどう向き合うか?」 という問題は、最終的には 「日常生活の幸福感と危険性についてどう考えるのか?」 という “個人の生き方の選択” の問題 と、感じている昨今である。 

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